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オタ活用。

暑気あたりに冷や水

「まったく、最近の若いもんときたら、礼儀ってもんを知らなくて困るね!」

 

グエンは、目の前の男がやかましくがなりたてるのに気圧されそうになる自分をどこか遠くから眺めているような感覚に陥り、こぼれそうになるため息を堪えた。

思えば、今日は朝から不運が続いていた。すこしよそ見をしていたら街道を走る馬車に轢かれそうになり、慌てて避けた先はたっぷりと泥水をたたえた水たまりだったし、泥で汚れた靴を大慌てで履き替えていたらギルドの同僚との打ち合わせの時間に遅れそうになったし、そのせいで同僚の失笑を買って要らぬ恥もかいた。朝から忙しく動き回っていたためにろくに食事を摂ることもできず、空腹で頭も口も回らないし、微かに指先が震えるような気もする。

そんな状態でもニーヴロック名物の強い日差しは容赦なく照りつけてグエンの体力を奪い、水筒の水はとっくに空になっていた。とくに今日は風もなく、潮を含んだ湿気が体にまとわりつくようで、汗だくで駆けずり回って昼過ぎにはすでにクタクタだった。

極めつけに、限りなく些細だが、限りなく自業自得でもある発注ミスが発覚した。今日の夕方にはとある貴族の邸宅に赴き食糧品を納品する手筈になっていたのだが、その荷の数が、何度数えなおしても足りない。発注書の数字を見間違えたか、卸された時点で荷を数え間違えていたのかは、暑さで朦朧としかかっている頭ではもはや判断がつかない。だが、いずれにせよ、とにかく急いで不足分を調達しなければならない。幸い、約束の時間までにはまだ猶予があった。

しかし、馴染みの業者を何件か周っても、不足した品を確保することが難しかった。品物自体はそれほど珍しいものでもないのに、どうやらここ最近の悪天候の影響で、市場に出回る一部の食糧品が品薄になっているようだった。そんなことは重々承知の上だったというのに、なぜ自分はこんな凡ミスを……と、今更しても仕方のない後悔ばかりが思考を占める。

街中を駆けずり回った末、ニーヴロックの市場の片隅に露店を構える食糧品店でやっと目的のものが見つかったと思えば、底意地の悪い店主に足元を見られた。

法外とすら言ってもいいだろう値を吹っ掛けられ、焦りもあり、グエンは柄にもなくムキになって言い返してしまう。そうした次の瞬間にはもう我に返っていたのだが、一度口から出た言葉を再び飲み込むことなどできるはずもなかった。


「だから、売る気がないならもう用はないと言ってるんだが……」

「いいや、さっきの台詞は聞き捨てならないね!まるでうちが悪徳商売をしているみたいな言い草しやがって、だいたい、その態度はなんだ!まったく最近の若いやつときたら……」


商人にしてはやたらとガタイのいい店主に管を巻かれ、かれこれ十数分は経ったか。グエンの疲労と喉の渇きは限界に達しようとしていた。

客がいなくて暇なのか暑さで鬱憤が溜まっているのか、店主はグエンが口先ばかりの詫びを入れようとも、話を切り上げて店を離れようとしようとも、ひたすら粘着質に絡んでくる。間の悪い時に、面倒な人間に捕まってしまったなと思いながら頭を掻いて、グエンはもう全てを投げ出してしまいたいような気持ちになった。

不幸中の幸いというべきか、今日の取引先は、それほど難しい相手ではない。事情を話して誠心誠意詫びて、後日改めて不足分を納品すれば、多少の不手際は許してくれるだろう。もしかしたら今後の取引になんらかの影響が出るかもしれないが、こうなってしまってはもう、どうしようもない。散々かけずり回って時間と体力も無駄にしたものの、失態の責任は自分にあるし、勉強料と思えば安いものだ。

店主の説教じみたがなり声はもはや右から左に抜けていき、グエンは暑さで朦朧とする意識の中、取引先に対する詫びの口上を組み立てていた。視界が霞んで、そう言えばついさっきまでは滝のように流れていた汗が、すっかり引いていることに気付く。そうこうしているうちにだんだん店主の声が遠ざかっていくような感覚がして、ああ、これはいよいよまずいなと、どこか他人事のように思った、その時だった。


「グエン、どうしたの?大丈夫?」


不意に、左肘のあたりをぐっと掴まれ、後方に引っ張られてよろけそうになった。

にわかに我に返って振り向くと、顔見知りの冒険者のパーティが心配そうな顔を並べてこちらを見ている。


「顔色が悪いぞ」

「うわ、マジじゃん、顔真っ青だぞ!ちゃんと水飲んでるか?」


白と、オレンジと、緑色の、特徴的な髪色の組み合わせ。いまピュリってやっからな、という声に、ああ、マーカーズじゃないかと言葉を返して、その声があまりにか細く掠れていることに我がことながら驚く。


「ま、マーカーズ……!?」

「……あ、仕事中だった?ごめん、でもあんまり様子がおかしかったから……」


グエンの肘を右手で掴んだまま、「なにかあった?」と尋ねてくる冒険者ーーゼパルの目は、しかしグエンを見てはおらず、しっかりと店主の方を見据えている。

強い日差しに翠色の瞳がギラリと反射して、細い瞳孔が店主を射抜いたのを目の当たりにして、グエンはひそかに息をのんだ。


「お、おかしなことなんて、なにもないですよ!嫌だなぁ、ハハ……」


にわかに手のひらを返しはじめた店主の態度に呆れるよりもはやく思い至ったのは、こいつら、いつの間にかずいぶんと名が通るようになっていたんだなぁという、妙に親心じみた感慨深さであった。

 


かくして、不足していた荷は適正価格で仕入れることができ、空っぽの水筒にはザールがなみなみと清水を満たしてくれ、グエンは詰めていた息を吐き出すことができた。


「すまない、助かった……」


みっともないところを見せたなと気恥ずかしさを覚えながら、冒険者たちに頭を下げる。

ザールたちはちょうど冒険者の宿の依頼を終えて、定宿に戻る途中だったらしい。しばらく姿を見ないとは思っていたが、ニーヴロックの近郊にある小さな村に派遣され、最終的には蛮族退治に駆り出されるなどでてんやわんやだったという。言われてみれば、ゼパルの頬には細かなかすり傷や痣が残っているのが見えたし、ザールとディディエもどこか消耗したような、疲れた顔をしていた。

そんなときに面倒をかけて申し訳ないと自己嫌悪から頭を抱えていると、天下の大商人の珍しい姿が見れて儲けものだったと笑い飛ばされた。


「あ、そうだ、これグエンにお土産ね」


先ほどの剣幕はどこへ行ったのか、平素のうすぼんやりとした(少なくとも、グエンにはそう見えていた)顔つきに戻ったゼパルは、気恥ずかしさに居た堪れなくなっているグエンにはお構いなしといった様子で、懐から取り出したものを押し付けてきた。

なにかと思えば、手のひらにすっぽり収まるほどの、小さな布製のぬいぐるみだ。ころんとしたフォルムで、2頭身の小人のようなデザインをしている。三角帽子をかぶった頭には紐が輪状になって取り付けられており、キーホルダーのように吊るしておけるつくりになっていた。

ゼパルが小人?のキーホルダーを押し付けてくるのを皮切りに、ザールは焼き菓子の包みを、ディディエはワインのボトルを土産だと言って寄越してくる。いずれも派遣された村の民芸品や特産品だということだ。


「んじゃ、また飲み行こうなー」


土産の礼もそこそこに一言二言の世間話を交わし、グエンは約束の時間が迫っていることをはたと思い出した。ザールたちもまた疲労を隠せない様子で、のそのそと緩慢な足取りで帰路に着く。

わいわいと立ち去っていく鮮やかな三色の頭を見送って、思わぬ大騒ぎの末に手に入れた大事な荷をまとめていると、先ほど掴まれた腕が鬱血しているのが目に入った。我ながら青白くて頼りない二の腕の、肘に近いあたりが、よくよく見ればわかる程度にうっすらと赤くなっている。

グエンは、暑気あたりともちがう熱がにわかに頬にのぼるのを感じて、自分で自分の横っ面を張り倒したいような衝動に駆られた。


(喜ぶな、こんなことで!)


頭をぶんぶんと振っても目眩を覚えるばかりで、頬の熱はなかなかひいてくれなかった。

 

 

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「あー!ぐえんだ〜!」


取引先の邸宅ーーセラ夫人の館に招かれるやいなや、グエンは小さな貴族令嬢の熱烈な歓迎を受けた。今年4歳になる小さな貴族令嬢であり、セラの孫娘にあたる、カレンである。


「ぐえん、なにこれー?かわいー」


カレンは、グエンの姿を見るや足元に飛び込むように抱きついてきた。そして、グエンの鞄に結わえ付けられた小人のキーホルダーを目敏く見つけ、目を輝かせる。なお、小人の横には、随分前にザールからもらったドラゴンと剣をかたどったキーホルダーも吊り下がっているのだが、年頃の令嬢のお眼鏡にはかなわないらしい。


「ほしー!」

「こら、カレン。はしたないですよ」

「えー!かわいー!ほしー!」


グエンには、いま自分がとるべき行動が、頭が痛くなるほどにわかっていた。この小さなレディに、この得体の知れないまんまるとしたフォルムのキーホルダーを献上し、彼女に、そしてひいては彼女の祖父母に気に入られることこそが、今の自分に出来得る最善手である。そして、これまでの自分であれば、なんのこだわりもなくその最善手を選べていただろうということも。

そんなことは、到底わかりきったことなのだ。


「悪いな、カレン。これはあげられないんだ」


だというのに、グエンのよくまわる舌先は、大した迷いも見せずにやんわりとした拒絶の言葉を発した。

それを聞いたカレン嬢は、えー!と非難の声をあげて悲しそうに眉を下げ、そしてセラはなにかを察した様子で、微笑ましげに両の頬に手を当てた。


「あら、まあ、まあ、グエン。そうなのね?」


セラがいったいどんな勘違いをしているかは知りたくもないし、我ながら不合理なことをしているとわかってはいたものの、グエンにはもはや曖昧に笑って言葉を濁す以外にできることはなかった。