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オタ活用。

ニーヴロックの街にて

ここはニーヴロックの街、<くじらの昼寝亭>。
つい今朝がたまで、3人はろくな食事も睡眠もとらず、希少な真珠魚を釣り上げるため、釣り竿を片手に海上で奮闘していた。その甲斐もあって、人の背丈かそれ以上はあろうかという目当ての巨大魚が、2匹も釣れた。
おかげで依頼主の料理人は大喜び。最終的な報酬も、当初の予定の倍額ほどまで弾んでくれたのだ。
しかし、慣れない海釣りと夜通しの戦闘でくたびれ果てた3人は、宿に帰るなりベッドに倒れ込み、泥のように眠り込んでいた。


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ゼパルは、昼間の灼熱の日差しに焼かれた肌がじくじくと疼く感覚で目が覚めた。寝起きの頭で時間の感覚がわからなくなって、大きく開いた窓の方に目をやれば、垣間見える空は夕暮れに染まっている。
蟹に思いきり殴打された左側頭部の痛みは、もうすっかり消え失せていた。そのかわりに、焼けて仄かに赤くなった肌がヒリヒリと痛む。地肌が浅黒い自分でもこんなに日焼けしているのだから、もともと色白の同行者ふたりはよほど苦しむことになるだろうなと、同じ部屋で寝ているはずの彼らの様子を窺った。
しかし、ふたりの姿がベッドの上に見当たらない。抜け殻になったふたつのベッドは、そろって薄手のブランケットがきれいにたたまれて、少し乱れたシーツの上にきちんと置かれている。そのあまりの行儀の良さにもだが、なにより、ふたりが既に起きだしていて、どうやら部屋からも出ていったらしいことに全く気付かなかったことのほうに、ゼパルは驚愕した。

職業柄、今までどんなに疲れて深く眠り込んでいても、そばで動く物音や話し声があれば、瞬時に目が覚めた。殺気でも感じようものなら状況判断をする前に身体が勝手に飛び起きたし、そうでなくたって、入眠してから完全に覚醒するまでのあいだに一度も目が覚めなかったことなんて、覚えている限りではただの一度もなかった。
なのに、今日に限っては眠りについて8時間ちかく、ぶっ通しで爆睡していたことになる。オフとはいえ自らのあまりの気の抜けっぷりに、かろうじて上体を起き上がらせたまま呆然としていると、ガチャ、と音をたてて部屋の扉が開いた。

「お、ゼパル、起きたか」

警戒する様子など欠片もなく部屋に入ってきたのは、同行者のひとりであるザールだ。
若草のような緑の髪がしっとりと湿っている。格好も、普段の神官服よりももっとゆったりとした、ラフな服装だ。どうやら水を浴びてきたらしい。

「ぐっすり寝てたみたいだから起こさなかったけど、具合悪いとかじゃないよな?ディディエのやつがもうずーっと心配しすぎでうるさくってさぁ」
「べつに、心配しすぎてはいない。適度に心配している」

ザールの後ろからは、同じく濡れた長い癖毛をタオルで拭きながらのディディエも現れた。表情はむっすりと不機嫌そうにも見えるが、眼差しには本人の言葉通り、ゼパルに対する配慮がにじんでいた。
心配?なんの?と思いかけて、自分が昨夜の巨大蟹との戦闘で、うっかり深追いしすぎた挙句にハサミで殴り飛ばされ、しっかり気絶までしたことを思い出した。目が覚めたときには、目の前にザールのひどく焦ったような整った顔があって、戦闘が終わった途端に過剰なほどに神聖魔法で回復された。そういえばディディエもその後しばらく青い顔をしていて、なにか言いたげにしては口ごもっていた気がする。

戦闘で意識を飛ばすのは、かつてのゼパルにとっては日常茶飯事だったので、そのふたりの態度には違和感すら抱いた。独立して傭兵稼業をはじめてからはそこまでの痛手を負うことは稀だったものの(なにせ気絶したり最悪死んだりしたところで、親切丁寧に対処してくれる人間がそばにいるとは限らないので)、闘技場にこもって剣の修行に明け暮れていた頃は、立てなくなったり気を失うまで戦うのが、ゼパルにとっての日常だった。
気を失ったら試合は終了、控え室の隅に雑に放り投げられて、救護係の人間にアウェイクポーションを雑に口に突っ込まれてあとは放置、というのが毎度のことだった。
昨夜だって、慣れない砂に脚をとられ当たらない攻撃に焦って、蟹の攻撃を避けきれなかったのは、完全にゼパルの落ち度だ。一体なにをやっているんだと罵られても文句は言えない。復活や回復の魔法をかけてもらっただけでも御の字だというのに、それ以後もふたりがなにくれとなく労わってくれているのがわかって、ゼパルは腹の奥がむずむずとして落ち着かないような気持ちになった。

「起きたんなら水でも浴びて、塩流してこいよ。髪とかヤバいだろ。んで、こないだの店行って飯にしようぜ」
「めし……」

飯、という単語を聞いただけで、条件反射のように腹が鳴る。あまりに大きな音が鳴ってふたりが笑ったので、ゼパルは頬に血がのぼるのを感じた。


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乾杯、と歓声をあげ、3人は各々が持ったエールの杯を高々と掲げた。
テーブルの上には、パンプキン貝と海岸キノコのアヒージョや、ミルク貝の貝柱とブロッコリーのクリーム包みパイ、海鮮サラダ、渦巻タコの揚げボールなどのニーヴロック料理が並んでいる。なにせ成功報酬をはずんでもらったので、場は完全に祝杯ムードだ。ゼパルはドラゴンエビのガーリックバター焼きにはあまりいい思い出がなかったので、それ以外の料理に舌鼓を打った。

<泥棒猫のかぎ尻尾亭>はほぼ満席に近いほどに繁盛していて、ガヤガヤと騒がしい。今朝がたの真珠魚の騒ぎもあってか、3人の姿にこそこそと噂話をする住人もいたが、嫌な気分になるほどではなかった。
乾いた喉を冷えたエールが潤す。ゼパルは、こんなにうまい酒を飲んだのは生まれて初めてかもしれない、と思った。料理のちょうどいい塩っ気もあいまって、いくらでも飲めるような気がした。
料理だってそうだった。こんなに豪勢な食事をしたのは生まれて初めてではないだろうか。先日、リバティの街でオリヴィオが振舞ってくれた手料理も美味しかったが、ついこの間までは借金もあったし、みんなまだ、どこか気を張っていたところがあった。
ゼパルにとって食事といったら、保存食の干し肉かパンか、せいぜい野営で生きたネズミやトカゲを捕まえて、焚火にくべて食う程度のものだった。そのことをありのままにふたりに話すと、かわいそうな子どもを見るような悲愴な顔をされたけれど。

「ふたりはこれからどうするんだ?」

最後にいい思い出ができたなと思った。ふたりとの同行の約束は、次の街まで、つまり、このニーヴロックの街までという話だったはずだ。おそらくふたりは、この街を拠点に冒険者としての仕事を探すか、しばらくしたらまた別の街に旅立つのだろう。もしかしたら、このままふたりでパーティを組むのかも。
自分はどうしようか。現金の蓄えはある程度できたとはいえ、早いうちに次の雇い主を探さなければいけないな。と、どこか息ぐるしいような気持ちになりながら尋ねると、頭の上に疑問符を浮かべたふたりが揃って首を傾げた。

「は?これからって?」
「え?いや、ふたりは冒険者だろ。しばらくあの宿に滞在するのか?」
「??なに言ってんだ、お前?」

いまひとつ嚙み合わない会話に、三者三様に首を捻る。そんなにおかしなことを聞いただろうかとゼパルが不安になったところで、ディディエがはたと思いついたような顔で口を開いた。

「そういえば、同行するのは次の街までという話だったな」
「アッ?ああ、そういえばそうだったっけ?」
「ああ、そうだ。ザール、お前が言いだしたんだぞ」
「そうだっけかー?」

そんなこと言ったっけ?俺じゃないと思うんだけど?と、しきりに首をひねるザールを捨て置いて、ディディエはゼパルをまっすぐに見つめる。

「ゼパルはなにかアテがあるのか」
「えっ、いや、全然……はじめて来た街だし……」
「やらなければいけないことや、向かわなければいけない場所は?」
「そういうのも、特に……」
「では、当面の間この3人で適当な依頼をこなすか、旅をするのはどうだ」

ディディエの提案に、ゼパルは驚いて目を見開き、ザールは「えっ、今更?」と呟いた。

3人で旅をする、というのが、いったいなにを意味するのか、ゼパルには瞬時に判断ができなかった。
ふたりのおかげで、2年ものあいだ背負い続けてきた借金がなくなって、ゼパルは正直なところ途方に暮れていた。これまで、はした金を稼いでは利子に充て、それでも借金は徐々に増えていき、もはや自分でもどう対処したらいいのかわからなくなっていたところがあった。数ヶ月前に不思議な縁であのタビットのジョージが借金を肩代わりして、ジョージに連れられてリバティの街におもむかなければ、ゼパルは今この瞬間も、借金返済のために日々を浪費していたに違いない。
とはいえ、生きていくために仕事をしなければいけないことには変わりないし、これからも、これまでとそう変わらない日常を再開するのだろうと思っていた。
自分にできることはそう多くない。というか、自分には、戦うことしかできない。魔法の素養も、遺跡の知識も、探索の心得も、なにひとつない。頭も悪いし、育ちだってろくでもない。
修行を終えて独り立ちしてからずっと雇われ仕事で、雇用主の指示をうけて、剣や暴力を振るう以外のことをしてこなかった。その剣だって、上には上がいくらでもいた。

「あのさ、そういうのって、こんな改まって言うようなこと?」
「ゼパルはたぶん、ちゃんと言わないとわからない」
「ああ、そっか……ゼパルだもんなぁ……」

仕方ないよなと諦めたようなザールのその言いように、今ちょっとバカにされたことだけはわかったぞと釘を刺しておく。

ゼパルには、誰かとともに、雇用関係もなくただ旅をするなんて、想像もできなかった。そのなかで自分が、ふたりの役に立てるようなイメージも、いまひとつ沸かなかった。
でも、そんなことができたらいいなと、ただの一度も思わなかったかと言えば、嘘になる。それぐらい、ふたりとのこれまでの旅は楽しかった。
食事や酒は美味いし、死んだようにぐっすりと眠れるし、ふたりとも博識で、話もわかりやすくおもしろい。年頃が近いせいもあるのか、3人での野営も遺跡探索も、慣れない釣りも、全部が楽しかった。

「お前がいないと、前衛がいなくなってとても困る。ザールだけでは心もとない」
「おいコラ。ディディエさん?誰のおかげでそのカッコイイ杖買えたと思ってんの?」
「ザールが宝箱を解錠してくれたおかげだ。どうもありがとう」
「どういたしまして。で、ゼパル君、どうするよ?」

ザールは、まるで全てを見通してるみたいな、人の悪そうな顔で笑う。ディディエは無表情だけれど、その言葉には噓いつわりがないことが、付き合いの浅いゼパルにもわかった。

「えっと……ふつつかものですが……」

特に断る理由もなく、迷った末にゼパルが律儀に頭を下げたのに、もうだいぶ酔いが回っているらしいザールとディディエは盛大に笑い転げた。ゼパルは、ふたりのタガが外れようなその笑い声に、これまたオレが部屋まで担いでいくヤツかなぁ、と悟る。

それでは改めて、と、ザールが杯を掲げたので、ゼパルもほとんど空になったエールを差し出す。
人生、なにがあるかわからないなぁと、まるで他人事のように思う。それでも、明日からの生活を思うと、胸がそわそわとして、頬が熱くなるのがわかった。
こんなに楽しくて、いいんだろうか。そんなにたくさん飲んでいないのに、もしかしたら自分もだいぶ酔ってきているのかもしれないなどと思いつつ、ゼパルは手元のエールを飲み干した。