Baselog:Labo

オタ活用。

ぬるいエールと返り血。

ゼパルは、赤黒く染まった上着を脱ぎ、目前に広げてみて、「これはもうダメだ」と悟った。

つい先ほど終えた、もとい失敗に終わったばかりの仕事は、ひとり商人の馬車の護衛だった。商人の名前はローズマン。近郊の街での仕入れを終えて、拠点の商人ギルドのある帝都ルキスラに戻ろうとしている、40代半ばほどの年頃の男性だった。

たった2、3日。仕入れたばかりの商品を山ほど積んだ2頭立ての馬車を、のろのろと走らせても4日はかからない、短期間の依頼だ。成功報酬は前金なしで1日につき500G。ちょうど金欠だったこともあって、破格の報酬に目が眩んだ。

だが、旅程の見積もりが甘かったためか、ルキスラまであと半日ほどというところで、完全に日が暮れた。ゼパルは依頼主に野営を提案したが、報酬を1日分かさ増ししたいだけではと警戒したのか、依頼主は提案を拒否。勢いに任せてそのまま帝都へと帰還することを選択した。

行商の疲労がピークに達していたのか、依頼主の態度は頑なで、ゼパルの言い分など到底聞き入れられそうにない。仕方なく松明を焚きながら街道を急行した(ゼパルは夜目がきいたが、依頼主と車を引く馬たちはそうではなかった)、が、やはりというべきか、その明かりにつられたならず者たちに、目をつけられた。

人数は5、6人ほど。さして手練というわけではない。だが、悪かったことに、まず馬車馬が狙われた。賊の放った弓矢が馬の急所を貫く。馬はいとも容易く絶命し、その様子に、もう片方の馬までにわかに恐慌状態に陥った。暴馬に引き回された荷台は玩具箱をひっくり返したように横転し、依頼主は街道わきの草むらに投げ出された。

 

依頼主ローズマンはその衝撃で気絶し、彼が目を覚ます頃には、あたり一帯は血の海となっていた。

 

=======================

 

「こんなことばっかりしてるから、金が貯まらないんだよな……」

ゼパルは赤黒い血痕でまだらに染まった服をごみ入れに投げつけて、唯一の洗い替えの上着に袖を通した。

ゼパルは定宿を持たない。かといって旅の宿に泊まる金も持ち合わせていないことも多く、ふだんルキスラに滞在する際には、とある盗賊ギルドの拠点となっている酒場で寝泊まりをさせてもらっていた。

酒場のマスターであり、ギルドの顔役である男とは古い縁で、多少の融通がきく。とはいえ、ほぼ一文なしのゼパルに立派なベッドを貸してくれるほどの温情はないようで、地下にある酒蔵兼倉庫の片隅で、かろうじて身体を横にして休息を得ているような状態だった。

 

ローズマンは昏倒から目を覚ました矢先、馬車馬1頭と、荷台ごとひっくり返って半分以上がお釈迦になった荷の責任の追求をはじめた。

ゼパルは、依頼主の命は守ったことや夜行の危険性について忠告したことなどを主張したものの、怒り心頭に発しているローズマンの耳には届かなかった。

馬車をなんとかルキスラまで辿り着かせたものの、当然のように報酬はゼロ。丸3日ほどタダ働きをしたうえに、ポーションなどの必要経費(と、返り血まみれになった上着代)を勘定すれば、ものの見事に赤字だ。よほど街道のど真ん中で捨て置くか、なんなら腹いせに斬り捨ててやろうかとすら思ったが、それではやっていることが賊と同じだということに気付き、間一髪踏みとどまった。

 

気分が苛々として、疲れているはずなのに眠気はほとんどなかった。カビとアルコールの匂いの充満する埃まみれの地下倉庫でのんびり眠れる気もせず、ゼパルの足は酒場へと向かう。

時刻は深夜だ。既に店じまいをしているようで、マスターはカウンターの内側で後片付けをしていた。皿洗いかなにかする代わりに、エールの1杯でも恵んでもらおうという算段で近寄ったが、顔を見合わせるや否や、「若いくせに辛気臭いツラをするんじゃない」と叱られる。

「お前、いつまで野良やってるつもりだ」

呆れ顔のマスターの奢りのエールと、乾燥肉の切れ端、売れ残りのパンをもそもそと口に運んでいると、そんな風に問いかけられた。

まるで小言のようなその指摘に、ゼパルは自分の気分が更にもう一段階、沈むのを感じた。特定の雇用主や仲間を持たず、フラフラとその日暮らしをしているゼパルを、彼や彼の同僚たちは、しばしばそう呼ぶ。

ゼパルたちシャドウと呼ばれる種族で、雇い主を持たず単独で行動している者はそう多くはいない。戦闘を生業としているシャドウは、たいていはどこかの傭兵団に所属するか、あるいは権力者の密偵となることが多い。そのほうが、シャドウが生まれ持った特性を遺憾なく発揮できるからだ。

だが、ゼパルは日々単発の依頼を引き受け商人の護衛などをするばかりで、恒常的に誰かに付き従うということはしていなかったし、まして団体行動などはとてもじゃないが性にあわないと思っていた。そのことを指して、野良だのはぐれ者だのと呼ばれることには慣れていたが、かといってすこしもいい気はしなかった。

「さあな、死ぬまでなんじゃないか」

乾燥肉の欠片を口の中に放り込むと、臭みの強い塩味が舌に残る。自分でそう言ってから、死ぬまでこんなことばかり繰り返すのかという嫌悪感が頭をもたげて、眩暈がしそうになった。

一生、いけ好かない依頼主のお守りをして、報酬を踏み倒され、返り血を浴びて、上着の処理に煩わされて、カビ臭い地下倉庫に辟易して、そんなことばかりを?

本当に、どうして斬り捨てておかなかったのだと、そうしておけばせめてこのいやな気分ぐらいは晴れたのではないかと思うと、惨めだった。賊と同じであったとして、一体それのなにが悪いというのだろうか。自分から血の匂いがして、それが鼻について胸がむかむかした。

マスターはなにか言いたそうな顔をしたが、ただ大きな溜息を吐くばかりだった。エール1杯程度では到底酔えそうもない。当然、眠れそうにもない。