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オタ活用。

おやすみゼパル

<くじらの昼寝亭>は、ニーヴロックの街の大通りから脇道に入り、つづら折りの石階段をのぼりつめた先にある冒険者の宿だ。
東側の窓が大きく開いているので、部屋からアレスタ海を一望することができる。静かな夜に耳をすませば、遠くに潮騒の音も聞こえた。


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クルービスでの三日三晩に及ぶ収穫祭観光(と、突発的な依頼と冒険)を満喫して、ザール、ディディエ、ゼパルの3人は宿に帰ってきた。

受付のジルトリットへのお土産のお菓子を渡し、シャワーを浴びて、間借りしている3人部屋に戻る。ベッドの上で各々の荷物袋の中身を整理して、ワインやお菓子などの嗜好品をつまみながら、生誕祭の夜の出来事を振り返った。
いちばん意気揚々と迷子探しの依頼を請け負ったのに、現地に着くなりゴーストの気配にすくみ上がっていたザールをからかい、ディディエの女装のあまりの違和感のなさに思い出し笑いをする。店主に勧められるがまま女ものの衣装に袖を通したこだわりのなさは、箱入りエルフならではなのだろうか。
ゼパルにとっては、あんなふうに祭りを楽しんだのは初めての経験だった。土産のワインは仰々しい謳い文句のわりにはそこらのワインとなにが違うのか、ゼパルの舌では判別がつかなかったが、旅の思い出をつまみに語り合っているとまるで水のようにするすると飲めてしまい、あっという間に空になった。

そうこうしているうちに夜が更けて、旅の疲れからかザールとディディエが眠ってしまったので、ゼパルはザールが入れたランタンの灯りを落とし、自分のベッドに横になった。
その夜は、彼にしては珍しく夢を見た。夢の中では、自分たちは本当に人狼と吸血鬼と、狂信的な魔法使いとして、月明かりの中で生きていた。3人は例の幽霊屋敷に住み着いていて、ごく稀に館に迷い込んでくる旅人や子供の肉を食べ、血を吸って命を繋いでいた。
何十年ものあいだ、ワルツを踊って、そしてあの食堂で、ゴーストに囲まれて呑気に酒盛りをしていた。


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目が覚めると、まだ真夜中といっていい時間だった。2~3時間ほどは眠っただろうか。なにか夢を見たような気がしたが、思い出せない。
ゼパルの眠りは、いつも細切れだった。前職の、交易商の護衛の仕事中などは、昼は隊商の周囲の警戒に夜は不寝番にとこきつかわれることが多かったため、まとまった睡眠をとれるタイミングは限られていた。
雇用主も護衛を複数人雇ってくれればいいものを、商魂たくましい彼らは、こちらがシャドウとみれば途端に足元をみてきた。雇用主に忠実なシャドウであれば多少の無理をさせても文句は言わないだろうと、荷運びにかかる必要経費を最小限にケチるために、最小限の人員しか割いてくれないことが多かったのだ。

もちろんその甲斐あって、なにかと贔屓にしてくれる商人とのコネクションができたり、空いた時間に商売のイロハを教えてもらったりもした。が、今となっては、報酬を買い叩く口実にされるなど、不利益のほうが大きかったようにも思う。
それでも、金で雇われて、言いつけられた仕事や契約の内容を忠実に遂行することだけを期待される生業は、気楽でよかった。
ゼパルにはとにかく自分の意見というものがなかったし、多少無茶な要求であっても卒なくこなせる程度には器用だったし、生得的な体質や才能に恵まれていた。

結果として、ゼパルは不眠不休で働くことは珍しくもなんともなく、休める時には夢など見る暇もなく、短時間で最大限の体力回復に臨むのが習慣になっていた。
これまでは、種族的な特性もあるのかそれでもなんとかなっていた。が、以前たまたま同種族の同業者とその話をしたときには、ため息を吐かれながら「今はいいが、若いうちしか通用しないぞ」と苦言を呈されたものだった。

だから、こんなふうに常宿をもって、仕事が終われば清潔なベッドで寝られて、不寝番をする必要などかけらもない生活は、正真正銘、生まれて初めてのことだった。
ゼパルはまだこの生活に慣れきれず、夜はベッドに横になって肉体を休めつつ、意識だけははっきりと覚醒して、特にやることもなく朝を迎えることも多かった。


そんな夜が何度か続いて、気付いたこともあった。
人間の神官であるザールが意外に寝汚く、朝は何度声をかけてもなかなか起き上がってこないこと。そして、エルフの魔術師であるディディエが、しょっちゅう夜中にゴソゴソと起き出しては、手持ちの魔導書を読み耽っていることだ。

「もしかして、俺の気配で起こしているか?」

今晩もその多分に漏れず、ディディエは、バルトゥーの屋敷で入手した人でも殴り殺せそうな厚みの古書を、ベッドに寝転びながら読んでいた。
隣のベッドで熟睡しているザールに気を遣ってか、いくぶんか小声で話しかけられ、ゼパルはぎくりと身を硬直させる。
ディディエは読書に没頭しているものと思い込んでいたので、まさか話しかけられるとは思いもよらなかった。微かに聞こえる潮騒に耳を傾けながら呆けていたところを、まるで敵に不意打ちをくらったかのように動揺してしまう。かろうじて剣に手を伸ばすのだけはすんでのところで踏みとどまった。
ディディエの方を見遣ると、(ふたりにとっては、昼間よりはいくらか色が沈んで感じる程度の)薄闇の中、こちらを凝視してくる青い瞳と目が合った。

「えっ、あっ、いや。そういうわけじゃない」
「そうか。それならいい。眠れないならスリープをかけてやろうか」

ゼパルには、スリープというものがどんな効果のある魔法なのかわからなかったが、この流れから察するに、任意の対象を強制的に眠らせる類の真語魔法だろう。ディディエの魔法の腕についてはまだ短い付き合いながらも充分に思い知っているので、そんなものをかけられた日には永遠に目が覚めなさそうだ、と思った。
おそらく心の底から親切で言っているのであろうディディエの提案を丁重に断って、もともと眠りが浅い性質なのだと、まるでなにかに言い訳するように付け加えた。

「ディーこそ、寝なくて大丈夫なのか?」
「今日は移動しただけだったからな。そこまで疲れていない」
「そっか。……その本、面白い?」
「眠れなくなる程度には面白いぞ。スリープが嫌なら読み聞かせをしてやろうか」

それはよく寝られそうだ、と笑う。まるで辞書のようにぶ厚いその本にどんなことが書かれているのかについては微塵も興味がなかったが、眠りに落ちるまでディディエがそばで見守っていてくれて、その落ち着いた声色で語りかけてくれるのは、存外悪くないかもしれないと思った。


ゼパルにとっての夜は、孤独の時間だった。思い返してみれば、毎晩のように不寝番をしていた頃よりずっと前、小さな子供だった時分も、真夜中には妙に目が冴えた。昔は、フラフラと夜の街を彷徨い歩いたり、路地裏で膝を抱えながら、月を見上げていることが多かった。
今でもひとりで月を眺めているのは嫌いではなかったし、ゼパルは自分のことを、孤独が苦にならない部類の人間なのだと思っていた。
物心ついた頃からずっとひとりだったし、あまり気の利いた受け答えができるようなタイプでもない。それに、人の心の機微というものにすこぶる疎かったので、他人に気を遣うのも、気を遣われるのもなんとなく苦手だった。

それが、冒険者となってからは、夜にひとりで月を見上げる機会は、ほとんどなくなった。そのかわりに、他人とのコミュニケーションの機会というものが、信じられないほどに増えた。
旅の途中に野営をすることはあっても夜の見張りは交代制で、ディディエは見張りを交代すると言っているのに焚火のそばを離れず、魔導書を読んでいることも多かった。
ザールはザールで、眠気覚ましのコーヒーが効きすぎて寝られないなどと言って、夜通し他愛のない話をしていたこともあった。ちなみにゼパルはザールの飲んでいるコーヒーをひとくち貰ったが、まるで消し炭を溶かしたかのようなその風味がどうにも受け付けなくて、そりゃこんなもの飲んだら胸が悪くなって寝られなくなるだろうなと思った。
宿のベッドに横になっていても、ザールの寝息や、ディディエが本をめくる音が絶えず聞こえて、孤独を感じたことはなかった。


ディディエとふたり、小声で、ぽつりぽつりと会話をするうちに、ゼパルはうとうとしてくる。ディディエの声色は、本当に子守歌でも聞かされているかのように眠気を誘い、ゼパルから緊張や警戒心を奪った。
口が回らなくなって、眠りと覚醒、夢と現実の境目がわからなくなってきたのを察したのか、ディディエが小さく笑ったのが聞こえた。

「おやすみ、ゼパル」

ゼパルには家族と呼べる存在がいなかったが、もしいたとしたら、子供だった頃にもこんな安らかな気持ちで眠りにつけていたのかもしれない、などと、薄れゆく意識の中で夢想した。
……だからといって、今更、どうということもないのだけれど。