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オタ活用。

初セッション前のフレーバーテキスト3種

もはやご愛嬌

 

 

 

 

ゼパルのフレテキ

金があれば自由になれると思っていた。
スラムに産み落とされて盗賊ギルドの小間使いに奔走していた頃も、剣の師をえてひたすら技を磨いていた頃も、闘技場に放り込まれてくる日もくる日も闘いに明け暮れていた頃も、いつだって、ずっと金のことが頭を離れなかった。
金がなければ、飢えて死ぬ。師は食べ物をめぐんでくれ、剣の指南をしてくれたが、ただ庇護されているばかりの暮らしはどこか、いたたまれなかった。
どんなに剣の腕が卓越したところで、トーナメントを勝ち上がり名声を得たところで、金にならなければ意味がない。金がなければ飢えて死ぬのだ。貧民街の片隅でひっそりと息絶えた、ボロ切れをまとった背中からは、目を背けながら生きてきた。
はやく一人前になって、剣で身をたてたかった。そうすれば、自分は自由になれるはずだった。
でも、闘技大会でわずかばかりの賞金を得たときも、商人の護衛で食うに困らない程度には日銭を稼げるようになっても、自由を得られた気はしなかった。
曇り空の下をあてもなく彷徨っていた幼少期、空腹で寒くてしかたなく、ああ、金さえあればなあと上を見上げてばかりいた。あの頃となにも変わらない毎日が、ただ平穏に過ぎていく。
師は一人前になった弟子をみて、いたく誇らしげに頷いてくれた。盗賊団から荷を守ったとき、依頼主はよろこんでくれ、報酬をはずんでくれた。わずかばかりの金貨のような思い出を奪われないよう懐に隠して、張れる見栄も誇れる矜持もなく、曇り空の下を右往左往しながら生きてきた。
ゼパルは、これからもそうするのだと、生きるとはそういうことなのだと、考えるまでもなく、諦めていた。

あの日までは。

 

 

ディディエのフレテキ

お前は世間知らずなのだから滅多なことを考えてはいけないよ、叔母さんを助けてあげなければいけないよと、まるでなにかに怯えるみたいに忠告してきた大人たちにとってみれば、はたして自分の決断は裏切りだったのかもしれない。小さな集落の中だけで生きてきたのだから世間知らずなのはお互い様だと思うのだが、彼らは本を読んでも、旅の行商人や吟遊詩人の話や歌を聞いても、あるいは父の姿を見ても、集落の外の世界に憧れることはなかったらしい。
彼らは毎日湖の魚を捕り森の兎や鹿を追いかけるばかりで、見聞を広げることにも、自分の足で広い世界を歩き回ることにも一切の興味を示さない。もしかしたら、魔法のことにすら。
美しい湖と豊かな森に囲まれた集落の大人たちの関心ごとは、冬のあいだの備蓄のこととか、森の奥で蛮族の姿を見かけたとか、長の政治能力や親族の力関係のこととか、そういったことばかりのようだった。
ディディエにはそういったことがどうにも些事に感じられ、むしろ、(あの日を境として、)顔も見たことのない父親に共感するようになっていった。大人たちが自分の顔を見て、苦虫を嚙み潰したかのように、もしくは遠い遠い過去を慈しむように、「本当に彼の生き写しのようだね」と嘆くたびに、漠然と、いずれ自分も父の歩いた道をトレースするのだろうと感じていた。
おそらく父は、この美しい集落の外で死んだか、これから死ぬのだろう。そして、自分もまた。
それがどこなのか、あるいは何日後か、何百年後のことかはわからない。が、父がもう何十年も顔を見せてないことを考えると、それはいたって自然なことのように感じられた。
死後の世界は楽園のようなところなので、一度そこに足を踏み入れた人間は、あまりの居心地の良さに二度と現世に帰りたくなくなってしまうのだ、という宗教観がある。集落の外には、もしかしたらそんな世界が広がっているのではないだろうか。バカげた考えだとは思いながら、それについて証明してくれるエルフは、周りにはひとりもいなかった。
「それだけの才能があれば、集落を率いていくことも、家族を蛮族の手から守ることも容易だろうに、なぜ」というような主旨のことを聞かれたが、自分でもなぜここまで外の世界に惹かれるのかはわからなかった。血なのかもしれないし、反発なのかもしれないし、興味本位でしかないのかもしれない。だが、理由はなんでもいいと感じていた。
この小さな集落の中だけで終わらせるには、エルフの生涯は、あまりに長すぎる。退屈に殺される前に、自分の足で、出ていかなければいけないのだ。

父のように。

 

 

ザールのフレテキ

生家を出奔してからというもの、ひと晩寝ただけでなんともいえない全身のむずがゆさに苛まれた宿のベッドに辟易し、致し方ないこととはいえ幾度となく野宿を強いられ、衛生観念の欠如した輩にベタベタと接触され、駆け出しの頃は本当に発狂寸前の毎日だった。あまつさえ同行人の裏切りに遭ったり、そのせいで多額の借金を背負わされるなど、それはもう散々な目にあっている。
家の中では信仰と規律と親族の期待とでがんじらがめになって息苦しくて仕方なく、もうこんな場所にはいられないと思って飛び出した先に、まさかこのような困難が待ち受けていようとは知る由もなかった。が、知っていたら大人しく家の中に閉じこもっていたかというと返答に窮する。ただひたすらに信仰と親族と信奉者に捧げる一生のことを思うとゾッとするばかりなので、これでよかったのだと自分自身を納得させながら、なんとか今日まで生きてきた。
家の中は清潔で食うにも困らず、厳格で立派な父と、優しい母と、まだまだ幼くかわいい盛りの妹弟と、敬虔な信者たちに囲まれて、何不自由なく育てられた。その恩がないわけではないが、どうしても、子どもの頃に祖父が語ってくれた冒険譚の数々と、遠い故郷の思い出を語る祖父の目が、忘れられずにいる。
本当に死ぬかと思ったあの瞬間、祈りのことばなどひとつも思い浮かばなかった。ただ信仰のみに一生を終えるのが神官として生きる者の本分であるにも関わらず、あの瞬間に脳裏をよぎったのは、祖父のどこか侘しげな目だった。そして、祖父の語った遠い遠い雪国の美しさと、無慈悲なまでの自然の驚異と、そこに生きる人々のしたたかさと、そこに確かにある信仰について考えた。
なぜ自分は死ぬのか、なんのために生まれたかなどわからないまますんでのところで命を拾い、そしてザールは再び、人生の岐路に立たされている。

自分自身でさえも、知らぬままに。